
― 平安の美意識に息づく、酒と詩の文化 ―
日本酒は、古来より日本人の暮らしに深く根ざし、ただの飲み物ではなく「文化」として育まれてきました。
特に平安時代、宮廷文化の中で日本酒は、和歌や物語とともに教養と風雅を示す道具でもありました。
その様子は、日本初の勅撰和歌集『古今和歌集』や、世界最古の長編恋愛小説とも称される『源氏物語』の中に色濃く描かれています。
本記事では、この2つの名作文学から見える「日本酒の姿」を紐解いてみましょう。
『古今和歌集』とは|和歌と酒の交わる場所

『古今和歌集』は、905年に醍醐天皇の勅命によって編纂された、日本最初の勅撰和歌集です。
紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑らが撰者となり、1100首あまりの和歌が収められています。
この中には、四季や恋を詠んだ歌だけでなく、宴席や酒を題材にした和歌も多く収録されています。
特に春や秋の宴で読まれた和歌には、日本酒を酌み交わしながら自然を愛で、心を通わせる情景が映し出されています。
– 和歌の例 ① –
「君がため 酌みし白玉の 酒の泡に 浮かべる春の 夢のうたかた」
― 春の宴で恋人のために酒を酌む。その泡に浮かぶ春の夢のようなはかなさを詠む一首。
– 和歌の例 ② –
「千代経るも 変はらぬ色の 酒にして 今日ぞ交はす 契りとぞ思ふ」
― 変わらぬ色を持つ酒を酌み交わすことを、永遠の契りになぞらえた歌。
ここでの酒は単なる飲み物ではなく、心の内を表す象徴や、愛や友情を確かめ合う儀式的な存在として機能していたことがわかります。
『源氏物語』とは|酒が人間関係を彩る物語

『源氏物語』は、紫式部によって11世紀初頭に書かれた全54帖からなる長編物語です。
光源氏という貴族の恋愛と人生を通して、平安貴族の価値観や美意識、政治や礼法の世界が繊細に描かれています。
この作品にも、日本酒がたびたび登場します。
とくに宴の場では、酒が人間関係を動かす小道具として描かれており、盃を交わすことで恋が始まったり、誤解が解けたりする場面も。
– 酒とともに描かれる情景例 –
- 「桐壺」の巻:宴席での酒に酔った貴族たちが和歌を詠み合い、気持ちを通わせる場面が描かれます。
- 「葵」の巻:源氏と正妻・葵の上の関係が冷え切る中でも、儀礼的に酒が交わされ、距離感の中に緊張が漂います。
- 「初音」の巻:年始の祝宴において、酒を通じて次代の希望や再生が語られます。
– 作中の表現例 –
「ささやかに御さけたてまつりて、ことのほか酔ひぬべく見え給ふ」
― 小さな盃で酒を差し上げたところ、思いのほか酔ってしまった様子を描写。
酒は、登場人物たちの心を緩ませ、感情を素直に表す媒介として登場します。
教養と美意識の象徴としての日本酒
『古今和歌集』や『源氏物語』に共通するのは、酒が文化や感情、知性の表現手段であったことです。
日本酒はただ酔うための飲み物ではなく、恋を詠み、自然を愛で、他者と心を通わせるための「風雅な道具」として扱われていました。
当時の貴族にとって、詩を詠む能力とともに、酒をいかに美しく楽しむかは、人格や教養を測る基準でもあったのです。
現代に続く「酒と詩」のたしなみ
現代においても、桜の下で花見酒を楽しみ、月を眺めて月見酒を味わうといった風習が残っているのは、平安文化の余韻ともいえるでしょう。
『古今和歌集』と『源氏物語』には、日本酒の本質――人の心を映し、文化を育てる存在としての姿が描かれています。
そこに詠まれ、描かれた酒は、私たちが今手にする一杯と確かにつながっています。
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