
「雅(みやび)」の時代と呼ばれる平安時代(794〜1185年)は、日本文化が大きく花開いた時代です。和歌や絵巻物、十二単の華やかな装い、そして季節の移ろいを楽しむ風流な生活。その中心には、実は「日本酒」が欠かせない存在としてありました。
今回は、平安貴族たちの暮らしと日本酒がどのように結びついていたのかをご紹介します。
宮中で愛された日本酒の姿

平安時代の日本酒は、現代のように精米された白米から作られた清酒ではなく、「濁酒(どぶろく)」に近い、米粒が残る甘味の強い酒でした。酒は神事にも日常の社交場にも使われ、特に貴族の間では季節や催事ごとに酒宴が催されていました。
『延喜式』(927年完成)には、当時の宮中で用いられた日本酒の製造法が記録されています。現代の「酒造り」に通じる要素も見られ、雑菌を防ぐために麹や乳酸菌の働きを利用した高度な発酵技術がすでに使われていたことがわかっています。
平安時代は、日本酒の「技術革新期」とも呼べる重要な時代なのです。
雅な宴と日本酒の関係

宮中や貴族の邸宅では、春には「花宴」、秋には「月見酒」、年中行事の節目には「御酒の儀式」が行われ、日本酒が人と人をつなぐ社交の潤滑油として機能していました。
特に注目したいのが「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」です。庭園の小川に杯を流し、杯が自分の前を通り過ぎる前に詩歌を詠み、飲み干すという優雅な催し。この風習は、酒がただ酔うためのものではなく、文化と知性を磨く社交アイテムであったことを象徴しています。
貴族たちが詠んだ酒の和歌

平安時代の文学作品にも、日本酒は頻繁に登場します。特に『古今和歌集』や『源氏物語』には、酒宴の場面や、酔いにまつわる歌が数多く詠まれています。酒は恋の駆け引きや季節の風情を彩る道具としても重宝されていました。
例えば、平安貴族は「酒の香りが、恋する相手の衣に移る」ことを風流と捉え、これを和歌に詠み込むこともありました。現代にも通じる、情緒豊かな日本酒の楽しみ方が、平安の時代から育まれていたのです。
酒造りは宮中から庶民へ
この時代、日本酒の製造は「造酒司(さけのつかさ)」という役職を持った宮廷専属の官職が管理していました。酒は貴族社会の特権的な飲み物でしたが、次第に寺院や庶民の手にも広がり始めます。
平安後期には、酒屋が町中に登場し、今日の酒造業の原型が形成される下地となりました。
平安時代の日本酒文化が教えてくれるもの

現代の日本酒は、多様な味わい、香り、ペアリングが注目される一方で、平安時代の日本酒は「人を結び、四季を愛で、教養を育む道具」として親しまれていました。
今も続く「宴」「乾杯」「祝い事に酒を添える」文化は、平安貴族たちが愛した日本酒文化から脈々と受け継がれているのです。
まとめ
平安時代は、日本酒が単なる飲み物から「文化」の一部へと昇華された時代でした。
宮中の宴で酌み交わされる酒は、季節の移ろいや人の心を映す鏡のような存在。
現代の私たちが日本酒を味わうときも、千年の歴史を感じながら飲めば、より一層その深みが味わえるはずです。